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お宝発見ウォーク

第3回お宝発見ウォーク レポート



 

 

1. 実施日時 平成23 年8 月25日( 木) 

     当日の午前中に、かなり強い雨が降り開催が危ぶまれましたが、幸い、受付を開始する12:30頃には雨も上がり、雨具なしで全行程を予定通りウォークすることが出来ました。 暑い日々が続いていましたので、むしろウォークには好都合な天気でした。

 参加者はスタッフを入れて、50人になりました。 

 

2. 集合場所 ・時間

 

 

 JR湯浅駅から歩いて2~3分の、湯浅町立駅前多目的広場に13 時00 分集合しました。 

 

3. ウォーク行程 ( 第一部)

 レクチャー  13:00 ~ 13:15 ( 駅前多目的広場)

 駅前多目的広場の中で、湯浅町商工会 事務局長の谷中様から、ウオークの前に湯浅町の歴史やみどころについてのレクチャーをして頂きました。

 

平成18年、湯浅町は県下で初めて「重要伝統的建造物群保存地区」の指定を受けました。湯浅の町家の特徴は江戸末期から大正頃に建てられた、醤油や金山寺味噌の醸造関係の町家や土蔵が残っています。本日のコース中には熊野古道せいろミュージアム、手作りの辻行灯が多数配置されております。湯浅町の中を熊野古道が通っており、古道の中では最大の道標が、湯浅の町中に残っています。平安時代から宿場町として栄えた湯浅の町の別の側面です。また、みかんや醤油の輸送のために海運が発達しました。良い漁場が近く、アジ、サバ、シラス漁が盛んです。最近しらす丼を湯浅の食として売り出し中で、しらす丼の幟が目印です。しらす丼のお見せのマップもあります。

 

 

 

レクチャーを受ける、ウォーキング参加者

 

 

湯浅商工会事務局長の谷中敬治氏

 

 

「しらす丼」と「醸造の香りに生きる町」のマップ「醸造の香りに生きる町」のマップ

 

・「しらす丼」マップ

湯浅の食戦略会議が認定した13点のお見せの紹介。場所とメニューと価格が分かります。

・「醸造の香りに生きる町」マップ

湯浅伝建地区のウォークマップで、主な建物の位置を知るだけではなく、建物の意匠(湯浅の古い時代の建物を特徴づける、

虫籠窓・厨子二階・格子等)についての解説を読めば、みどころの魅力が一層増してきます。湯浅散歩には必携。

 

最初のみどころ「文平の像」

 

江戸時代前期の豪商、紀之国屋文左衛門は寛文九年(1669年)頃、湯浅で生まれたと伝えられており、幼名を「文平」と言いました。
紀之国屋文左衛門は紀州みかんの輸送や木材取引で成功し巨万の財を築いたことなどで知られています。

講談などでも「紀文大尽」「百萬両宝の入船」などが有名です。
この像は、文平が荒海にみかんを積んで船を漕ぎ出そうとする雄姿を表現しています。

(紀州湯浅散歩 http://www.geocities.jp/yuasadaisuki/town/bunpeizou.html より)

 

 立石の道標

 

 

 湯浅町の熊野古道沿いにあるこの道標(立石)は天保9年(1838年)に建てられました。

立石は2mを超す大きさで、熊野古道の中では最大です。
石の四面はそれぞれ東西南北の方角を示し、東面には「きみゐてら」北面には「すぐ熊野道」

南面には「いせかうや右」のように行き先の地名が刻まれています。

北面の「すぐ」というのは、「近い」と言う意味ではなく、「まっすぐ」と言う意味です。

東面には「きみゐてら」は「紀三井寺」のことですが、方向を指し示す手の形が彫られています。

これは結構めずらしいようです。

立石は夕方よりライトアップされています。

(みどころの「立石道標」をご覧ください http://www.kinokuni-sanka.jp/modules/landscape/index.php?lid=92&cid=56 )

 立石の道標から西へ進みます。

 

深専寺

 

 

 

 

 深専寺は西山浄土宗の寺院で寛正3年(1462年)に明秀上人により開山されました。熊野信仰が盛んであったころ、熊野古道沿いにある深専寺は法皇や上皇が行幸の際に宿泊地としても使われていたようです。
本堂は県の文化財に指定され、屋根を見ると大きなしゃちほこがあり目を引きます。門前には津波の教訓を伝える「大地震津波心得の記の碑」が立っています。

 

 http://www.kinokuni-sanka.jp/modules/landscape/index.php?lid=928&cid=6 

(きのくに風景讃歌 みどころの「 深専寺」)

 

「大地震津波心得の記の碑」

 

嘉永7年(安政元年・1854年)の「安政南海地震」(M8.4)で、湯浅にも大きな津波が押し寄せて、

大勢の人がなくなったことへの反省を踏まえ、今後も起こるであろう津波に対して、避難時の注意を喚起しています。現代にも通じる内容となっています。

 

 

碑文 現代語訳

「昔からの言い伝えによると、井戸の水が減ったり、濁ったりすると津波が起こる前兆であるというが、今回(嘉永七年)の地震の時は、井戸の水は減りも濁りもしなかった。 そうであるとすれば、井戸水の増減などにかかわらず、今後万一、地震が起これば、火の用心をして、その上、津波が押し寄せてくるものと考え、絶対に浜辺や川筋に逃げず、この深専寺の門前を通って東へと向い、天神山の方へ逃げること」

(紀州湯浅散歩  http://www.yuasa-daisuki.com/town/jinsenji.html ) より

 

中町通り(南北)へ出てから北へ

玉井酢 

 

 

 

浜町通り(南北)から北町通り(東西)へ

重要伝統的建造物が立ち並ぶ、北町通りに入ります。

曲がり角にあるのが、醤油醸造・販売のお店「角長」です。

 

 

湯浅醤油職人蔵

 

 

 

 

 

大仙堀

  

 

湯浅の醤油の積み出し港として使用された、大仙堀です。

かつての堤の上を道路が走り、昔の港のイメージは分かりにくくなっていますが、

大仙堀に沿って、黒く塗られた醤油醸造蔵が並ぶ景色は湯浅観光のみどころポイントになっています。

http://www.kinokuni-sanka.jp/modules/landscape/index.php?lid=944undefined 

(きのくに風景讃歌のみどころ「大仙堀」)

 

麹屋:内傳商店  (津浦家)

(こうじや:うちでんしょうてん)  

 

 

 

重要建造物群保存地区内の建物です。

最近改修が完成して、美しい建造当時の姿を見ることができます。

「麹屋」の名前の通り、 醤油や金山寺味噌の製造に欠かすことのできない麹を製造販売していました。

現在は販売はしていませんが、麹に関する資料の展示があり、麹資料館となっています。

また、店に入ると店主の津浦さんが廃材を利用して制作した行灯が土間や座敷に所狭しと並べられています。

津浦さんは湯浅の町の古い民家を飾る辻行燈やつり行灯も数多く作り提供しているそうです。

 

 http://www.yuasa-daisuki.com/town/koujiya.html (紀州湯浅散歩)

 

 

 

 旧岡正商店

 

 

 

 

麹屋:内傳商店の向いにあります。

以前は「岡正(おかしょう)」という酒屋さんでした。

現在は地元の果物や野菜、加工品を販売する青果直売所として活用されています。

  http://www.yuasa-daisuki.com/town/okake.html  (紀州湯浅散歩)

 

北町通り(東西)から鍛冶町通り(南北)へ

竹林家

 

 

 

間口が21mの長い建物で、最も古い部分は江戸末期の安政年間の建造と伝えられ、湯浅でも

最も古い時代の建物に属しています。

醤油と網の販売と質屋を営んでいました。現在は専用の住居となっています。

つし二階、平入りで、6つの虫籠窓がずらりと並んでいますが、注意して見ると建造時期の違いで、

形状が少しずつ異なります。

http://www.yuasa-daisuki.com/town/takebayasike.html (紀州湯浅散歩)

 

 

旧湯浅信用金庫

鍛冶町通りと寺町通りの交差する付近に、鉄筋コンクリート製の銀行風の建物があります。

湯浅信用組合が昭和12年に建造したもので、後に移転したために、現在は個人の住宅になっています。

外装は黄土色をしていますが、昭和13年に建造された和歌山県庁のタイルに良く似ているそうです。

保存状態も大変良く、昭和初期の銀行の建物として貴重です。

http://www.yuasa-daisuki.com/town/kyuyuasasinyoukinko.html (紀州湯浅散歩)

 

 

 旧湯浅信用組合から、再び寺町通りに入り、多目的広場へ向かって帰路に着きました。

皆さん、みどころの多い湯浅の町に大満足の様子でした。