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景観・まちづくり新聞
トップ  >  景観・まちづくり新聞  >  Vol.15(2012/9)  >  連載コラム 髙橋寛治が語るまちづくり (9)

連載コラム 髙橋寛治が語るまちづくり (9)


「石畳集落で見付けるもの」
  愛媛県の松山市から車で30分、内子町の岡田文叔さんは「足し算型から引き算型へのまちづくり」の提唱者である。
  彼は役場職員の仕事を通して、町並み保存に取り組み、時には村並み保存という名前でもって、地域の再生運動に取り組んできた。振り返ってみると、「内子の町が内子の町らしくあるために」、町が持つべき特性に光を当てていくことを引き出す、自分へのある種の使命感のような形でやってきたと語っている。
  私が注目したのは、この内子町の山村石畳地区での取り組みである。1987年から、世帯が130世帯、人口が300人少々の小さい集落の中で、農村の当り前の景観を意識したむらづくり運動に取り組んできた。
  「豊かな暮らしを未来に」をテーマとして、石畳の40~50代の人たちは、自分たちの子や孫に何が残せるのかを考え、地域資源をしっかりと意識しながら集落を形づくって行く挑戦を始めた。その取りかかりは、昭和30年代まで地域の原風景として回っていた水車であり、それを皆で作って地域のシンボルとすることであった。
  集落の一番奥で静かに回る水車の横には「水車事始め」と題した碑文が建ててある。「ここは、肱川水系麓川の支流である通称清水川と呼ばれるところ。背後に見える標高896mの牛の峯山麓から流れ出る清水が豊富なところ。水車は、山村で見られる科学の粋、わずかな水の流れを利用した天然エネルギーで精米、製粉、そして製材まで活用した。その水車も今では電気に変わり、姿を消した。この水車は石畳地区にとっては農村文化のシンボル。   
  水車精米により、熱で変質しない美味しい米の食べ方を発見しようと、この地区の若い衆12人と土地の提供者が40数年、昔の記憶を辿りながら製作にあたった大工さんの『むらおこし』事業として作られたものです。」と住民の意志を紹介する。
   石畳地区は特に変わったことのある集落ではない。一本の川の水でも水系の地形に合わせて取水口を作り、最後は元の川へ戻す。すると反対側の水田へと水が回ってゆく。農村は沢山の知恵と技術の集積地であり、この当たり前のことに気づくことから村の美しさは価値を持つことを教えてくれる。    (続く)


 

 

高橋寛治氏

(高は正しくは髙(はしごだか)と書きます)

プロフィール
高野山大学客員教授
埼玉大学教養学部
非常勤講師
元高野町副町長

長野県飯田市産業経済部長として、
飯田市の活性化推進に活躍した後、
和歌山県高野町の副町長として、
高野町の活性化を推進した。 

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