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景観・まちづくり新聞
トップ  >  景観・まちづくり新聞  >  Vol.14(2012/6)  >  連載コラム 高橋寛治が語るまちづくり (8)

連載コラム 高橋寛治が語るまちづくり (8)


「売らない・貸さない・こわさない」

国道19号線を岐阜県から長野県へ入ると谷が一気に深くなり木曽谷へとたどり着く。

ここを南北に流れる木曽川に沿っていたのが江戸時代の五街道のひとつ中山道であった。ところが中山道41番目の三留野宿(みどのじゅく)から妻籠、馬篭の二宿は川筋から分かれて山中の峠道を越え岐阜へと南下している。昭和30年代、この国道から取り残された寒村「妻籠宿」は、深刻な過疎化に直面しひっそりと取り残されていた。当時の観光と言えば京都や奈良が定番。修学旅行に足を運んだ人も多かった。
  昭和43年(1968年)長野県は明治百年記念事業として妻籠宿保存事業に取り組み、車社会から取り残され妻籠宿の保存復元工事と自然歩道中山道ルート新設工事が実施された。これにより、昔をしのばれる町並みが生まれ、江戸期から明治期、大正期にかけての建物か連なる町並みが一新、そこから建物と周辺の田畑や山林を含めた一体的な景観保全が始まった。
  この時、住民組織の「妻籠を愛する会」の中から生まれた地域を保全する合言葉が「売らない・貸さない・こわさない」である。建物を無断で余所の人に売らない、むやみに貸さない、古い建物は修復するのであり壊さない三原則であった。
   個々での活動を見ていると、妻籠の中で町並みを保存することにより「地域に『へそ』をつくろう。  
  山村の村人がここに暮らしていることを、そして自分が自分であることを認識できる『へそ』にふさわしい中心と密度、その思想とたたずまいをつくること。それが過疎化へひとつの有効な対策となるのではないか。」と読み取れる。そしてその思想が普遍化し国が「重要伝統的建造物群保存地区」という制度を創設し、最初に選定される結果につながった。
  この活動が引き金になり各地に町並み保存活動が動き出し、ここで触発されて育ってきた研究者も多い。 
  古いものを古いままで置くことには不便も伴う、また先進地であるがゆえに電柱も建物の裏側を通すなど苦労も多かった。今では車で通ることは出来ないし美しさに磨きがかかってきたが、その代償として整備した大きな駐車場や住民の高齢化などの課題をみてとれる。
  休みなど人ごみの中を歩いていると、保存と暮らし、景観を越えた景観など新しいテーマを感じさせるところである。

 

 

高橋寛治氏

(高は正しくは髙(はしごだか)と書きます)

プロフィール
高野山大学客員教授
埼玉大学教養学部
非常勤講師
元高野町副町長

長野県飯田市産業経済部長として、
飯田市の活性化推進に活躍した後、
和歌山県高野町の副町長として、
高野町の活性化を推進した。

 

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