• きのくに風景讃歌とは
  • お問い合わせ
  • RSS
  • トップ
  • みどころ紀州路
  • ふるさとフォトグラファー
  • 景観まちづくり講座
  • お宝発見ウォーク
  • 景観・まちづくり新聞
  • わかやまワクワク探検隊
  • アーカイブ
  • 景観・まちづくりの関連サイトリンク
  • 溝端コレクション
  • 紀の川流域の文化遺産を活用した地域活性化事業
景観・まちづくり新聞
トップ  >  景観・まちづくり新聞  >  Vol.12(2012/1)  >  連載コラム 高橋寛治が語るまちづくり (6)

連載コラム 高橋寛治が語るまちづくり (6)


「美山方式」

 文化財保護法によって、歴史や文化を伝える町並みを持つ「重要伝統的建造物群保存地区」の制度が始まって

30年が経過し、和歌山県内でも湯浅町湯浅地区が指定を受けている。
平成5年に、この重伝建の指定を受けた京都府南丹市美山町北集落は関西を代表する美しい村である。
ここで昭和51年度から始まった集落活性化への取り組みは幅が広く、
外から来た人も一緒になって「住みよいふるさとづくり」を目指している。

それは単に建物保存や観光地とは異なった、地域の未来を考える取り組みである。
事の始まりは、米の過剰生産による転作の実施によって、山裾に耕作放棄地が生まれて畑が山にな
り、植林されてゆく姿を「山が降りてくる」と見た危機感から始まった。

この全てが荒れてしまう現状に対して、当時の美山町では職員が現場へ出向き意向調査や集落懇談会を実施した。
その中から対話の出来る組織が生まれ、その一つが茅葺(かやぶき)の農家が集まる北集落であった。

そこでの再生方針は、今まで、山の作業に頼っていた「むら」を一回作り直すことである。

農家にとって一番大切な田や畑を集落全体のものと考え、基盤整備や皆が集まる集落センターなどを新農業
構造改善事業で行うことから始まった。

新農構の特徴は事業の計画づくりにある。
この作業を通して集落全体の仲間意識を醸成し、一方では高齢化する山村に、

国とは一味異なった「美山方式」の地域整備を導き出すこととなった。

新農構の整備を終えた後は、どこでも同じような圃場や農村広場や集落センターが出来ていった。 
しかし、事業によって全体の環境が整ったことに合わせて、地域に合った施設の使われ方が始まり、

農村広場はテニスコートへ、集落センターが農産物加工場へ衣替えをして婦人の出場(でば)が生まれた。
一方で地元だけでは「井の中の蛙」と考えてIターンを受け入れたことも良かった。
「来客の絶えない家は美しい」と言われる。この言葉をバネにして「都市との交流を産業にしよう」と考え、

1989年に町が溜まり場を作り、そこでの論議から民宿や直売所をつくる動きが広がってきた。
全国の各地で住民と地域の関わりはますます深くなっているが、美山地区のように、30年間続いてきた住
民活動を見ると、鉄道も高速道も企業の進出も無い過疎地域において、再生を担うのは住民自身であり、
その素材として「美しい景観」は未来への可能性であることを改めて示している。
( 次号に続く)

 

 

高橋寛治氏

(高は正しくは髙(はしごだか)と書きます)

プロフィール
高野山大学客員教授
埼玉大学教養学部
非常勤講師
元高野町副町長

 長野県飯田市産業経済部長として、
飯田市の活性化推進に活躍した後、
和歌山県高野町の副町長として、
高野町の活性化を推進した。

 

前
「海の駅」でアマモ場づくり
カテゴリートップ
Vol.12(2012/1)
次
大辺路の保全と顕彰活動=熊野古道大辺路刈り開き隊