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景観・まちづくり新聞
トップ  >  景観・まちづくり新聞  >  Vol.8 (2011/5)  >  連載コラム 高橋寛治が語るまちづくり (2)

連載コラム 高橋寛治が語るまちづくり (2)


「未来は過去の中にいる」

景観を考える時、一つの「固まり」としてどこまでを考えるかによって、基本的な約束事やあるべき姿が違ってくる。つまり、一つの「まち」なり「むら」を中心として、周辺を固まりとしてみることから景観は考えられるものといえる。
  ヨーロッパでは、市町村が景観の単位となっていることが多いが、現在の日本では、例えば寺内町のように過去の歴史を持っている「狭い町屋の地域」が一つの固まりであることが多い。一方、同じ文化を持っている地域は、町の範囲を超えて文化的な共通性が存在する。特に高野町のように山の上にあり、近世まで独立した文化と寺領を持っていたところは、この区域(高野山)を中心とした共通した文化圏があり、景観の範囲も市町村の枠を超えた姿が求められる。現在、高野町で水系ごとの建物を調査しているのも、基本はその統一性(コード)を求めるものといえる。
  また「固まり」の範囲には、
(1)文化的特徴を共有
(2)地形的特徴を共有
(3)時には行政的な単位にもなりうる
(4)しかし、そこで住民が自らの意見で参加する、「自治」があることが基本と思っている。
  この自治が実現できないと、一つ一つの建物は立派でも町全体に統一感がうまれないし、遠くから見たときに全体としての調和がとれていない町が生まれる。日本の町の景観は、まさにそれぞれの建物が個性を追求し立派になったが、統一感や調和を破壊する方向に向かって進んできたのではないだろうか。私は一つの地域を知ろうとする時、常に全体が俯瞰できる高台を求める。もちろん半島の先端などで見渡しのきかないところもあるが、「まち」を俯瞰することが地域理解の基本と感じている。
  高野山は俯瞰が出来にくい町であるが、よく女人道の高台へ出向く。  江戸時代には女人禁制がひかれていたため、信者は女人堂から八葉の嶺と呼ばれる尾根道を回ったと聞いている。途中の「ろくろ峠」は根本大塔を望む高台であり、当時の信者が背伸びをしながら山内を眺めたビューポイントである。このようなポイントから全体を見通すことが景観の始まりと感じている。
(次号に続く)

 

 

高橋寛治氏

(高は正しくは髙(はしごだか)と書きます)

プロフィール
高野山大学客員教授
埼玉大学教養学部
非常勤講師
元高野町副町長

長野県飯田市産業経済部長として、
飯田市の活性化推進に活躍した後、
和歌山県高野町の副町長として、
高野町の活性化を推進した。

 

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