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景観・まちづくり新聞
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連載コラム 高橋寛治が語るまちづくり (1)


「未来は過去の中にいる」

紀北の中央を流れる紀ノ川沿いには、大和街道の古い街並みや道標などが続き、路地から路地へ歩きながら訪ねるのも面白い。また、この街道と交差するように何か所かで、高野街道が高野山や九度山町の慈尊院へと導いてくれる。
これらの古い町や街道に対して、私たちが素直に美しさを感じるのは、それらが伝えてくれる地域の「連続性」と言える。
この高野街道が行き着く先、高野町の山上は多くの参拝客が訪れることによって今日を迎えている。そのことを広い意味での「観光」と考えるのであれば、その地が「夢」を持ち、「その夢」を実現するために努力しつづけることを忘れては、町外から訪れる人に充分な満足感を持っていただくことは出来ない。つまり、参拝客の皆さんからの経済的な恩恵を受ける以上に、まちの方が多くのものを渡さないかぎり何回も人が訪れる地域には成りえない。
さらに言えば、観光とは「地域での生き方」が光を発する所に根付くものである。逆に、私たちの「地域での生き方」が光を発しないかぎり観光が永続することは無い。 高野山は明治以降にやっと真言密教の道場から生活の場へ変わった。たとえ、生活の歴史は短くても、1200年の歴史の積み重ねに裏打ちされた先祖からの生活の原理の中に「地域の光」が見出され、光を発するはずである。
その意味で、高野の人たちは日々の生活を過去に学びながらまちづくりに取り組まなくてはならない。「未来は過去の中にいる」と言われる。高野町での「景観づくり」は、その過去に学ぶ活動の一歩として取り組みが行われてきた。 (次号に続く)

高橋寛治氏 プロフィール

(高は正しくは髙(はしごだか)と書きます)
高野山大学客員教授   埼玉大学教養学部非常勤講師   元高野町副町長
長野県飯田市産業経済部長として、飯田市の中心市街地だけでなく、工業・産業・観光・文化など全分野にわたる活性化推進の中心的人物として活躍した後、和歌山県高野町の副町長として、高野町の活性化を推進した。

 

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