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和佐大八郎の墓

弓の名人として知られる和佐大八郎は、1663年和歌山市祢宜に生まれました。14歳の時には人並み外れた大男だったと伝わっています。その体格をいかして紀州藩士で竹林派の弓道の達人となりましたが、彼を一躍有名にしたのは、京都三十三間堂の通し矢で大記録を打ち立てたことによります。一昼夜矢を放ち続けて、三十三間堂の廊下121.5mを貫いた矢の数が8,133本となり、それまでの8,000本の記録を塗り替え、以後破られることがなかったと言われます。これにより、紀州藩から熱狂的に歓迎され、300石を賜っています。51歳で田辺で亡くなり、遺骨は田辺の浄恩寺と、和佐家の墓所であるこの地に葬られました。浄恩寺には、大八郎が使用した弓が2つ残され、そのうちの1つは三十三間堂の通し矢に使用されたものと伝えられています。(2011.3.9)

和佐大八郎の墓(和歌山観光協会)

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